78歳の宇井 清太が・・・・
 蘭展の何からないまでやる。

 1000坪の会場を埋め尽くす13000品種。
 今年は絞りに絞って25000名に案内状送付。
 夫婦で来られる人が非常に多くなった。

  入場無料。
  株は売らない!
  ペレポストは売る。
  切り花は売る。
  これが宇井 清太の蘭展のコンセプトである。
  栽培法は教える。 本当の栽培法を。


 リーマンショック、原発、バス事故でドライバー2名・・・・
 そういうことで・・・・50日間の蘭展。
 花で・・・50日の展示をやれるのは・・・シンビというランの素晴らしい特性である。
 それを宇井 清太は見抜いて・・・シンビを育種してきた。
 こういうことも知らないものが・・・ラン作りに多いというのは、
 非常に・・・蘭展を貧弱にしている。

 90%の人がリピーター。
 10%の新人が・・新たな人を紹介して連れて来る。
 それで・・・安定した入場者になっている。
 
 
ハウスの中に地植えして10年。

 植物は移動できない!
 この絶対の法則からすれば、宇井 清太の蘭展は、
 ランの自生地の生態系を再現した・・・世界初のものであろう。
 ラン菌と共生させたラン栽培である。

 ラン展会場に・・・10年も地植えして・・・展示。
 他の・・如何なるメディアも興業会社も・・・不可能な展示である。


  みなさん絶句。
  息を呑んだ。

  宇井 清太のみが保有する「ショウベンチ シンビジューム郡」である。
  日本のラン界には、切り花用、鉢物用品種があるが、
  「ショウベンチ用」・・・つまり見る人を・・・巨大で唸らせる、息を呑ませる
  蘭展用品種が無い!

  ペレポスト栽培は・・・屋久島の「大王杉7000年」の栽培理論である。
  誰も肥料など与えない・・・・。

  

  
宇井 清太 交配 オリジナル超絶巨大輪シンビジュームの・・・世界初の地植え栽培。 ラン菌が生息している「ペレポスト」で成功した。
「無肥料」栽培である。
宇井 清太 夢炎55年蘭展は、皆さん絶句と、息を呑む・・・超絶の感動で幕を閉じた。
シンビジュームの多様な美の世界を13000品種を宇井 清太オリジナル品種・・・ランワールドを作り上げた。
55年の年月と、宇井 清太の人生を結集したデスプレーである。
何処からか仕入れたランで、僅か半年、数か月、一週間で・・・数時間で作り上げた・・・
予算100万円前後で・・・デザインしたデスプレーとは、一線を画するデスプレーである。

一口に言えば、東京ドームの世界蘭展とは、根本からととなる「ランファースト」の「育種ファースト」のデスプレーである。
巨大な会場、強大なメディアと興業会社と・・・日本のラン界が総力を挙げた蘭展モデル。
蘭展といえば・・・このモデルで全国各地で「興業」されてきた。
ラン界の総力を動員する手法は・・・メデアが仕切る・・・書道界の「書道展」と同じであった。
でも・・・・
最初から「ランファースト」でなかった。
「興業ファースト」。
入場者ファーストは・・・動物園でも、植物園でも・・・他のイベントでも同じ。
成功するには目玉、人寄せパンダ・・・的なものが必要である。
興業といえば・・・小さなものでは村祭りの・・・神社の境内での「見世物小屋」。
宇井 清太も昭和30年代の初期まで存在していた・・・。
見世物・・・・。
「首長娘」「クモ娘」・・・ベナの化け物・・・小屋の中には「大きなナベ」が置かれているだけ・・・。
カネを出して見れば・・・次の日・・・首長娘が・・・街中を普通の娘の姿で歩いている。
興業の原点は・・・こういうものが入っている。
この延長線上に・・・蘭展のデスプレーがある。
この展示を10回やったところで・・・蘭そのものが「進化」するものでもない。
所詮・・・見世物。
これに使われるランこそ・・・ただの素材でしかない!
育種した者から見れば・・・・こんな使い方をされるために・・・汗水流して品種改良したのではない!
つまり「ランファースト」ではなく「入場者ファースト」での展示。
ガーデニングの「コンテナ園芸」を・・・大きくしたレベル。

つまり、興行的には使えるものは全て利用する・・・。
そして・・・現在に至る。
それは、別な見方をすれば・・・蘭展なのに・・・ランで人を呼べなくなった・・・ということでもある。
ランで、人が寄らなかくなった蘭展ほど・・・みじめで哀れなものはない。
それでも・・・ランの美しさに変わりないのだが・・・。
ランファーストとない手法で興業収入を図る・・・発想がもたらした衰退である。
つまり・・・原種では・・・人を呼べない。
ラン村社会内の優越感と自己満足。
ラン界も閉鎖社会を形成している。
そして・・・ほとんどなにも創ることが出来ない・・・審査員・・・。
選考委員の質の問題である。
あれから30年。
審査員としてなを連ねた人たちの今日の姿を・・・今もランを愛好しているのか知りたいものである。
そして・・・どんな新品種を、どんな新技術を開発したのか・・・知りたいものである。
ここが、最も肝心なことだからである。
らん展雄盛衰に関わるのも・・・最後は人材だからである。
江尻先生がいなくなった現在、園芸全般を、ランを語れる人がいなくなった。
底が浅いことを露呈した・・・蘭展である。
益々、ラン愛好家も高齢化、後期高齢者の集いの会のようなラン界。
バブル時代に40歳の人も・・・年金生活者。
その人達が栽培したランで・・・料金を頂くところに・・・なんか・・・見掛け倒し、メッキみたいな・・・。
一度見れば・・・という感じになる・・・ものが宿っているようである。
日本には「菊人形展」という興行が・・・現在もあちこちで開催されるが、
なかなか・・・素晴らしいものと思う。
原種など使わなくても・・・愛好出来るし・・・展示会も出来る・・・デスプレーも・・・
物語も・・・展示出来る。
ラン愛好家には・・・特殊な・・・相当歪んだ嫉妬と優越感がミックスしたものが宿っているようである。
ラン界には「育種家」と新発明した者への・・ものすごいジェラシーがあり、
それが・・蘭展をつまらない進歩、進化の無いものにしている。
山から掘ってきたランを持つことが・・・そんなに素晴らしいことなのか???・
今の時代・・・。
自分の花を作れない・・・ラン作り。
なんか・・・軽ーい・・・愛好になった。
そんな展示に・・・人は・・・集まらない



ランとカンケイナイ・・・人でトークショウをやっても・・・何を話題にしているのかわからない。
ご自分が栽培したラン出ないもので、活花しても・・・所詮・・・そんなものは小手先でしかない。
他の・・・活花展なら・・・仕入れた花で活花しても当たり前だろうが・・・
蘭展会場での展示なら・・・ご自分で咲かせた花での展示すべきであろう。
本当なら、宇井 清太の蘭展のように・・・ご自分が作出したランを使っての活花ならベストであろう。
それが、あるべき姿であろう。
でも、生け花の先生というのは、特別なご身分で・・・手を汚さいで・・・調達。
調達業者は・・・要望にお応えして・・・老木も切れるし、太い枝も切れる。
花のこころ・・・お花のこころ。 ・・・・人から見てもらうために咲く花など・・・地球上にはない。
宇井 清太の蘭展でも・・・無造作に鋏を入れて切れる人である。
作れもしないのに・・・!
一瞬の躊躇もなく切れる!
この感覚と動作は・・・花は「自分のためにある」という・・・自分ファースト。
ラン作りなら・・・切るときは・・・一瞬躊躇するし・・・命を惜しむ。
病気、ウイルス感染が・・・・頭をよぎる・・・。
花は「生殖器」。
切ったら・・・・種子を残すことはできない。
育種するものの目線と、花を商売、芸術の???・・・・素材として扱うものの違いかもしれないが・・・。
・・・・・・・

巨大メディアとガリバー興業会社をもってしても、蘭展が衰退の一途。
どこかで、ボタンの掛け違いがあるのかもしれない。
その原因の一つに・・・ランファースト削除のやり方があるのかもしれない。
ランファーストでやろうとしても、個別のランでは、驚くようなものがずらりと並ぶようでなければ、
万人を唸らせることが出来ない。
つまり、デパート蘭展レベルの作りの鉢を、大会場に持ち込んでも・・・
万人鼓動する空間を付くrことが出来ない。
業者から買った3000円から数万円のランで何ともならない・・・。
相対評価での上下では・・・
だから・・・これを目くらましするには・・デスプレーと・・・宝塚、歌舞伎まで動員して話題作り。
ランで話題を作れないところに・・・今日のラン界の深い悩みがある、
「和らん」のようなシンビはマニアックなものだから・・・・千両役者にはなれない・・・。
デンドロの原種では・・・万人のこころを躍動することが出来ない。
パンダのような・・・奇想天外な動物のような・・・国宝になる動物のような原種ランが発見されれば・・・
そういうランハは・・・地球には・・・もはや存在しない。
ならば・・・育種であるが・・・
凄い遺伝子を持っているのは宇井 清太のみ。
パフィオには・・・多様な遺伝子はない。
小さな空間で・・・一人静かに・・・・見る美である。
大会場向きのランではない・・・。
人間は「巨大」なものに「畏敬」する!
クジラも、象も、キリンも・・・・。
日本はリーマンショック以後、特に小さくくなった。
小さな花のランをいくら多く咲かせても・・・人は「畏敬」しない。
カスミソウでいいではないか???
主役と端役・・・。
宇井 清太の蘭展で、皆さん息を呑むのは「巨大」花が会場を埋め尽くすからである。
絶句して・・・声が出ない!
女の人が・・・ペラペラいうエリアは・・・珍しい花、小さな花の前である。
女のへらへらを・・・沈黙させる様なものが無いと・・・だめである。
「カワイイ」「ステキ」・・・レベルの花では・・・「畏敬」の念が沸かない。
日本のランは、市場向けの・・・ホームセンターで売れるランの生産がほとんど。
これを・・会場で飾っても・・・畏敬の念は沸かない。
小手先の・・・軽薄な・・・ものに見えてしまう。
つまり・・・1日、2日で飾れるものに・・・カネ出して見る????

関東圏には約3000万人の人口がある。
それなのに・・・。
つまり・・・入場料出してまで観る価値がないということであろう。
情けない。
見る価値がある「蘭展」というのは・・・どういう蘭展なのか???
日本のラン界には、ランも人も・・・無い???
少し・・・変わっている花・・・程度では・・・人を呼べない。
人心が離れたものを・・・再度呼び寄せるのは・・・容易なことではない。
なぜランから人心が・・・離脱したのか???
その大きな要因に・・・栽培法指導、説明に大きな誤りがあったことである。
宇井 清太も16回の蘭展で・・・栽培講習会を行って、延べ5,60万人から質問うけて答えてきたが・・・
その多くに・・・はっきり言えば・・・NHKの趣味の園芸でのラン栽培の知識、技術が、
深く深く・・・インプットされているという・・・事実である。
メディアの怖さを・・・まざまざと・・・実感してきた。
本当に、約40年にわたる講座の栽培法、管理法が・・夥しく発行された本が、
本当に・・・ランの生態系、根本、自然の法則に合致したものだったのか?
全国津々浦々まで流布した。
その功績は大変なものである。
しかし、その反面、・・・そういう作り方をしてもランが「育たなかった!
そうして・・・殆どの人が栽培をあきらめた???
しかし・・・本当は・・・ランを作りたいのである。
宇井 清太のラン展は・・・ペレポスト使用者のリピーターが約50%を占める。
本物のコンポストと・・・本物の栽培講習会を積み重ねてきた結果である。
ラン科植物は草本多年草植物である!
上手に作り花が咲けば・・・やめる人はいない!
ガーデニングする人のDNAである。殖えれば・・・嬉しいのである。
枯れrて嬉しい人などいない!
こういう気持ちを、日本のラン界は・・・「枯らしてもらわないと商売にならない」・・・消費型ビジネス。
蘭商売に・・・車ビジネスを導入した。
買い替え・・・需要。

こういう商売ビジネスは、多年草のランには適合しないのであるが・・・
コチョウランが100%枯れるから・・・商売が成立している??
こういう商売人が、蘭展で販売ブースを構えている。
これを30回も続ければ・・・ラン界の裏の顔を入場者は見抜く・・・。
こういう商売人から出してもらわないと・・・大会場での蘭展は成立しない。
難しい局面になっている。
一口に言えば、商売人には・・・蘭展を開催する「理念」などない。未来など考えていない。
ただ単に・・・売れれば・・・大成功である。
自身では興業出来ない人。
企画に乗って・・・商売するだけ。
カネ出して・・・見るものではない!
そういう気持ちになるのも無理もないこと。


蘭展を継続する「意味」「理念」が希薄になっている。
栽培技術、作品・・・自慢会、達成感を得るだけの展示なら・・・一度見ればよい程度である。
未来が・・・夢が・・・会場から掬い取ることが出来ないからである。
ランの未来、進化、進歩を提示できない蘭展というのは、
主催者の興業でしかない・・・。
日本のラン界にとって、東京ドームの蘭展が・・・絶対にくしてはならない蘭展ではなくなっている。
つまり、蘭展の最高賞は、本当に未来を拓く栽培法を開発しての・・・ものなのか?
職人技なのか?

蘭展会場からは、ランの未来が見えない・・・。
当座しのぎの・・・小手先のアレコレ・・・動きと・・・動員と、話題作りのようである。
見る人が・・・唸る・・・ようなもの・・・。
ない・・・。
ランも、人材も・・・枯渇。
そして、マンネリ。
使える手は・・・皆打った。
さて・・・・・残っているもので・・・集客能力のあるものは・・・???
珍・・で、奇・・・・でカリスマで・・・興行を成功させたい気持ちも解るが・・・・
次年度では珍奇でなくなるから・・・継続は難しい。

継続は力なリ。
つくづく・・・想うことである。
植物は根が「根本」。
根元を・・・。
そういう意味で「ペレポスト」を開発した。
根元を抑えられない業者は・・・いづれ淘汰されて、蘭展への出店も出来なくなる。
そうならないようにするには、ラン菌を研究して、ペレポスト栽培を普及する蘭先生になることである。
それしない人は・・・本物を教えることが出来ない人になり・・・人心は離れてゆく・・・
栽培と贈答のコチョウランを扱うのは、同じランであるが、まったく異なるものである。
食べるためには・・・益々・・・ブローカ的商売になって行くのか、それとも「廃業」か。
悩みに悩む業者が・・・あちらこちらにおられるようである。
宇井 清太は・・・マルチ人間。
ランで終わる人生ではなかったようである。


アレコレ・・宇井 清太も迷いの中にあるが・・・
ラン界に希望があるのか・・・無いのか・・・宇井 清太13000のオリジナル品種。
今秋から・・・いよいよ頒布するが・・・・
宇井 清太の55年の人生を語る「価格」で販売する。
・・・簡単な「金額」ではないが・・・・
解る人は・・・カネを惜しまず・・・・出して・・・チョウダイ。
13000品種は・・・何10年も・・・枯渇しないだろう。
毎年200品種出して・・・50年分。
一度に・・・全部売ってくれ・・・という人も・・・中国人であるが・・・そういう商談もあった。
一瞬で・・・拒絶したが。
正直ところ・・・今でも・・・頒布するか、止めるか・・・迷いに迷っている。
少なくとも20から30品種集めて頂かないと・・・宇井 清太の美の世界が見えないからである。
20、30品種というと・・・簡単な金額ではないからである。
文字通り「高値の華」。
そういう憧れが・・・現在のラン界には無くなった!
それが・・・ラン衰退の大きな要因の一つである!
    













































































































































































宇井 清太の第16回蘭展は大盛況。    宇井 清太のラン展は「ランファースト」「育種ファースト」



      
 ランで勝負できなくなった蘭展の末路、行く末は・・・
       東京ドームの蘭展モデルの衰退と崩壊の意味するもの
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